2023.4.10
『ピアノの本』Piano Communication Magazine No.282 4-6月号
クライアント 株式会社ヤマハミュージックジャパン
発行所 株式会社SCRコミュニケーションズ
フリー冊子『ピアノの本』の表紙イラストレーションを担当しています。
今号は19世紀の後期ロマン主義の2つの音楽思想を
それぞれ代表するブラームスとワーグナーを取り上げました。
登場人物は左から
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)、
ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)、
コジマ・ワーグナー(1837-1930)とリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)です。
このころ文学を音楽で表現しようとした「標題音楽」と
器楽音楽そのものの表現を進化させようとした「絶対音楽」という
2つの音楽理念が対立していました。
標題音楽の代表はワーグナーで、彼は新しい総合芸術としての歌劇を創り出します。
一方で器楽のみの音楽を追求する絶対音楽と呼ばれる流れでは
ブラームスが台頭してました。
といっても二人がいがみ合っていたわけではなく、
周囲の人や政治的な思惑が対立していたようです。
異なる道を求めた二人がお互いをどう思っていたのかがわかる資料はあまりなく、
ライバル視していたかもしれないという推測がされています。
古典派の流れをくむブラームスはバッハ、ベートーヴェンと共に「ドイツ3大B」と呼ばれました。
実はこれはこの表紙イラストでは背を見せているビューローがブラームスを称賛して名付けた言葉だそうです。
ビューローはベルリン・フィルの礎を築いた指揮者であり
またピアニストでもありました。
彼は最初はワーグナーの演奏を指揮していましたが、その後ブラームスに接近していきます。
彼の視線の先にいる女性は
超絶技巧のピアニストとして有名なフランツ・リストを父にもつコジマです。
コジマはリストの弟子のビューローと結婚しましたがうまくいかず
ワーグナーの元へ去ってしまいます。
リストはワーグナーの才能をいち早く評価し、彼に多くの援助をした人物ですが
自分の一番弟子の妻にした娘を自分と同じ年齢のワーグナーに奪われて怒り、
リストとワーグナーは一時は絶縁してしまいます。
ワーグナーは大変な俺様っぷりの人物でしたがコジマは生涯ワーグナーを支えました。
壁にかかっている建物の絵はワーグナーが自分の作品を上演する音楽祭を創設し
そのために建設したバイロイト祝祭歌劇場です。
ワーグナーの死後はコジマが音楽祭の総監督をつとめました。
そして一方で尊敬するシューマンの妻であり
高名なピアニストのクララのことを女性としてずっと愛していました。
ロベルトが早くに亡くなった後も
ブラームスはクララをなにかと支えていましたが
この二人は結ばれることはありませんでした。
とてもドラマティックな人物関係です。